院長ヒストリー 第3章

患者さんの人生に寄り添える治療家を目指した下積み時代

柔道整復師の資格を取得して間もなく、兄が通っていた接骨院からお誘いを受け、私の下積み生活が始まりました。

朝から夜遅くまでの仕事、そして21時から23時までの自主勉強。当時の月給は10万円でしたが、「今は勉強のため」と自分に言い聞かせて仕事と勉強、技術の研鑽に励みました。

休日には、新しい治療法を学ぶ勉強会に参加して技術を磨きました。なぜなら、人の体は十人十色、百人百様です。

ですので、様々な不調に悩む患者さんには、一人一人に最適な治療が必要だと確信していました。

だからこそ、技術の研鑽と知識の習得に向けて血眼になって学び続けていました。

ある日、はじめて勤めた整骨院で、鍼灸治療を目にする機会がありました。

急激な腰痛のせいで、這うようにして来院された患者さんが、手に針を打たれただけで、まるで魔法のように歩いて帰られたのです。

「一体何が起こったんだ!」この神秘的な治療に心を奪われ、鍼灸の世界にのめり込んでいきました。

東洋医学の考え方は、まるで面白い小説を読んでいるかのようでした。

季節による体の変化、脈や腹部で患者さんの状態を見極める。

この奥深さに魅了され、働きながら夜学で鍼灸を学ぶ決意をしました。

しかしながら、3年間鍼灸師の養成校に通うとなると、また500万円以上の学費を含めたお金が必要になります。

また、通学するとなれば仕事をする時間も減ります。

勤めていた院長と相談し、鍼灸師の国家資格を取得するために養成校に通いながら働く許可をいただきました。

給料は半減し、学費を払うのも一苦労でした。

「また昔と同じように這いつくばる生活が続くのか…」

思わず心が折れそうになりましたが、将来たくさんの患者さんを治せる治療家になりたかったので、自分を奮い立たせて働くことを決意しました。

養成校に通い始めたと同時に、仕事帰りにピザ屋でアルバイトをし、賄いを翌日の食事に回して生活費を節約しました。

毎日寝不足と疲労で肌はガサガサになってしまい、口の中はほぼ毎日口内炎ができていました。

正直言うと辛かったですが、鍼灸の勉強と日々の臨床が楽しくて仕方ありませんでした。

養成校に2年生になった時に、今度はスポーツ現場やトレーニングの勉強も含めて学びたいと思い新しい職場に転職しました。

新しい職場では、今まで学んできた技術を存分に活かせるようになりました。

さらに、スポーツ選手のケアも任されるようになり、トレーナー活動を通じて様々な経験を積みました。

「先生のおかげで痛みを忘れて走れました」

「あのテーピングで最後まで投げきれました」

「魔法みたい。さっきまで痛くてしゃがめなかったのに」

こんな言葉をいただくたびに、私の心は喜びで満たされました。

しかし、その一方でいくら治療をしても治らない患者さんがいることに頭を抱えました。

今まで学んだ整体法や東洋医学の考え方を用いても一向に良くならない。

「いったいなぜだろう…」当時は寝る時間を惜しみ医学書や論文を読み漁りました。

すると、整骨院の治療だけでなく睡眠や食事、生活習慣に対する提案も必要だということに気がついたのです。

この考えを用いて、患者さんを治療するようになると、今まで治せなかった患者さんからも

「長年苦しんでいた腰痛を忘れて生活できるようになった」

と声をいただけるようになりました。

新しい職場の4年間の修行で学んだことは、単に痛みを取り除くだけでなく、患者さんの生活環境、感情、性格まで考慮した総合的な治療の大切さです。

予防にも力を入れ、健康的な生活のためのアドバイスも行うようになりました。

2020年、私の地元である大阪市西淀川区佃で、なかむら安楽接骨院を開業しました。

ここで私は、患者さん一人ひとりに寄り添い、その方の人生に寄り添うトレーナーやセコンドでありたいと思っています。

現在は、地域の方々の健康をサポートするため、無料の健康教室を開催しています。また、来院が困難な方のために往診も行っています。

患者さんの痛みや不安に寄り添い、共に歩んでいく。それが、私の使命です。

もし、お体に不調を感じるときは私にご相談ください。私が責任をもって治療させていただきます。

なかむら鍼灸接骨院